六月になった。
エレズは変わらず執務室に来た。
画面を見た。
報告書を読んだ。
分析をした。
何も変わっていなかった。
内側だけが、変わっていた。
仕事の合間に、調べるようになった。
遺跡の話ではなかった。
人の話だった。
計画の存在に気づいている人間が、世界のどこかにいるはずだった。
分析官の目で、探した。
SNSを調べた。
ブログを調べた。
学術論文を調べた。
怪しいサイトも調べた。
ほとんどは、雑音だった。
陰謀論だった。
根拠のない話だった。
でも、たまに違うものがあった。
六月の第二週。
日本語のブログを見つけた。
翻訳ソフトで読んだ。
奥多摩の祠。
メソポタミアの星図。
古代の記号。
雑音ではなかった。
書いた人間は、本物だった。
名前は、透、とだけあった。
エレズはそのブログを三回読んだ。
分析官として読んだ。
この人間は、どこまで知っているのか。
どこまで辿り着いているのか。
監視リストに入れた。
仕事として、入れた。
でも、それだけではなかった。
さらに調べた。
透と繋がっている人間を探した。
ブログのアクセス解析を辿った。
コメントの痕跡を辿った。
一人の人間に行き着いた。
日本人女性だった。
名前はわからなかった。
でもインスタグラムのアカウントがあった。
キャンプの写真が並んでいた。
奥多摩の写真があった。
エレズはその写真を見た。
苔むした石の上のカップ。
朝霧の中の新緑。
普通のキャンプの写真だった。
でも一枚だけ、違う写真があった。
奥多摩の森の中の写真だった。
杉林だった。
光が差し込んでいた。
エレズは画面を見つめた。
杉だった。
エレズ、という自分の名前の意味だった。
偶然だと思った。
でも、偶然とは思えなかった。
その女性のアカウントを、監視リストに入れた。
透と並べて入れた。
ラベルを付けた。
「要注意」
でも、心の中では別のラベルを貼っていた。
「知っている人たち」
六月の終わり。
その女性のインスタグラムの更新が止まった。
三週間、何も上がらなかった。
エレズは気になった。
分析官として、気になった。
それだけではなかった。
更新が止まる前の最後の投稿を見た。
奥多摩の写真だった。
焚き火だった。
二つのカップがあった。
一つは彼女のもの。
もう一つは、誰かのものだった。
透と会ったのだ、とエレズは思った。
根拠はなかった。
でも、そう思った。
分析官の勘だった。
三十年間培った勘が、そう言っていた。
その夜、書斎でカバラの文献を開いた。
杉のページを開いた。
「エレズは天と地を繋ぐ。根は地に、梢(こずえ)は天に。その間に立つ者は、両方を見ることができる」
また読んだ。
何度目かわからなかった。
透と、その女性は、地に根を張っていた。
地上から、空を見上げていた。
エレズは空にいた。
計画の内側にいた。
でも今、地上を見下ろしていた。
同じものを、両側から見ていた。
ヨナタンから呼び出しがあった。
次のフェーズの話だった。
停戦が終われば、また動く。
新しいリストがあった。
エレズはリストを受け取った。
座標を見た。
今度はユーフラテス川沿いの村だった。
軍事施設ではなかった。
ただの村だった。
「これは」とエレズは言った。
「情報源がある」とヨナタンは言った。
「村人ですか」
「老人がいた。色々なことを知っていた老人が」
過去形だった。
「いた、ですか」
「去年死んだ。でも弟子がいる。その弟子が、日本人と接触した」
エレズの中で、何かが繋がった。
日本人。
透だった。
その女性だった。
「その日本人が、何を知っているんですか」
「わからない。だから調べる」
「調べて、どうするんですか」
ヨナタンはエレズを見た。
また、値踏みするような目だった。
「計画書通りに、する」
エレズはうなずいた。
「わかりました」
そう言った。
部屋を出た。
廊下を歩いた。
非常口から外に出た。
テルアビブの空を見た。
計画書通りに、する。
透と、その女性を。
エレズは空を見た。
青かった。
雲一つなかった。
遠くに、地中海が光っていた。
できない、と思った。
初めて、そう思った。
三十年間で、初めて。