焚き火が、安定した炎になった。
老人は無駄な動きをしない人だった。火の起こし方、薪の置き方、全てに迷いがなかった。何千回も繰り返してきた動作だった。
透は老人の名前を聞いていなかったことに気づいた。
「あなたの名前を教えてもらっていませんでした」
「弥山だ」
「みせん」
「山の名前だ。本当の名前は、もう使わない。サンカはそういうものだ」
弥山は透の向かいに座った。火が二人の間で揺れた。
「食え」
干し肉と、木の実と、正体不明の草を練ったものが出てきた。透は空腹だったので、躊躇わず食べた。悪くなかった。
「美味しい」
「山のものだ。スーパーのものより、体に合う。お前の血には特にな」
弥山は火を見ながら言った。
「そろそろ聞きたいだろう。日本の話を」
最初の日本
「この列島に最初に来たのは、縄文の民だ」
弥山は枝で地面に円を描いた。
「彼らはムーの末裔だ。二十二種族の遺伝子を持つ、最初の人類に最も近い存在だった。争わなかった。一万年以上、戦争の痕跡がない。世界の考古学者が不思議がっている事実だ」
透は頷いた。それは知っていた。
「縄文土器は世界最古だ。土偶は宇宙服を着た人間に見える。あれは記憶だ。自分たちの起源を、形にして残した」
「宇宙二十二種族の記憶を」
「そうだ」
弥山は円の中に、螺旋を描いた。透の木箱の紙と同じ文様だった。
「そこに、饒速日命が来た」
弥山の声が、少し変わった。敬意が混じった。
「天から降りてきたと記録されている。神話として扱われているが、文字通りだ。宇宙船で来た」
「どこから」
「ドラコ星系だ。ドラコニアンと呼ばれる種族がいる。誤解されている種族だ。名前から、爬虫類系の悪い存在だと思われる。だが本来は、平和を愛する古い種族だ。オリオン大戦を経験し、支配の愚かさを誰より知っていた」
透は火を見た。
「饒速日は、縄文の民と融合した。争わず、教えを授け、共に生きた。それが饒速日系の一族だ。この国の最初の王統だ」
「裏天皇」
「表と裏という言葉は正確ではないが、わかりやすいから使う。饒速日系は、この国の本来の中心だった」
神武東征の真実
弥山は新しい薪を火に加えた。炎が大きくなった。
「次に神武天皇が来た」
「東征ですね」
「そう記録されている。だが考えてみろ。神武の軍団はどこから来たか」
「南から、九州に上陸して」
「その前だ。もっと前を考えろ」
透は黙った。
弥山が続けた。
「五色人という話を、エアからすでに聞いたか」
「少し」
「日本から世界へ散った人々がいる。赤、黒、黄、白、青。五つの色の民だ。彼らはムーが沈んだ後、世界各地へ渡った。文明を築いた。エジプトも、シュメールも、インダスも、その末裔たちだ」
透は息を呑んだ。
「神武の軍団は、その出戻りだ。世界へ散り、各地で経験を積み、戻ってきた。彼らは純粋な縄文の民ではなかった。外の血と文化が混ざっていた」
「だから饒速日系と対立した」
「対立というより、摩擦だ。価値観が違った。饒速日系は縄文の精神を守ろうとした。神武系は外の世界の論理を持ち込んだ」
弥山は地面の円の外に、点をいくつか描いた。
「五色人の中で、最も謎なのが青人だ」
透は身を乗り出した。
「タミルの民だ」
弥山が言った。
「スリランカと南インドに生きる、古い民族だ。彼らの神話にクマリ・カンダムという失われた大陸が出てくる。ムーだ。レムリアだ。タミルの民はムーの記憶を、世界で最も長く、正確に保存してきた」
「インドの神様が青い肌をしている理由が」
「ヴィシュヌ、クリシュナ、シヴァ。全員青い。偶然ではない。青人の記憶が、神話の形で残ったんだ」
透は夜空を見上げた。星が増えていた。
「タミルの民は今も迫害されている」
弥山が静かに言った。
「スリランカで、インドで。記憶を持つ者が、消されようとしている」
オベリスクの網
火が少し落ち着いた。
弥山は空を見上げた。
「エジプトの話をしよう」
「オベリスクですか」
弥山が透を見た。
「エアから聞いたか」
「まだです。でも、気になっていました」
「賢い血だ」
弥山は小さく笑った。
「オベリスクは、エジプトで作られた。レプティリアンの支配下にあった時代だ。彼らは人類の覚醒を恐れた。眠らせておく必要があった」
「装置として」
「特定の周波数を出す。人の意識を、ある状態に固定する。目覚めにくくする。それ自体では弱い。だが網のように配置すれば、強くなる」
透は知っていることを言った。
「ワシントン、ロンドン、ローマ、パリ、ニューヨーク」
弥山が頷いた。
「全部、現代の権力の中枢だ。全部にオベリスクがある。エジプトからわざわざ運んだ。数千トンの石を、海を越えて運ぶ理由が、観賞用のはずがない」
透は東京のことを考えた。
「日本には」
「ない」
弥山は言った。
「それが答えの一つだ。日本の権力中枢に、オベリスクがない。饒速日系が守ってきたからだ。この列島だけは、網の外にある」
透は初めて、日本という国の意味が、別の形で見えた気がした。
サンカの使命
火が、また落ち着いた。
弥山が透を見た。
「そろそろ、お前自身の話をしよう」
透は姿勢を正した。
「サンカとは何ですか。本当のところを」
弥山は少し間を置いた。
「山に生きる者、と言った。それは本当だ。だが、それだけではない」
薪が、パチンと音を立てた。
「サンカはエアの目だ。耳だ。地上との接点だ。宇宙法で直接介入できないエアが、地球の状況を知るための網だ。オベリスクの網に対する、こちら側の網だ」
「いつから」
「饒速日が来た時からだ。ドラコニアンの血を持つ饒速日と、エアは古くから繋がっていた。サンカはその仲介として生まれた。戸籍を持たない。地図に載らない。どこにでも行ける。どこにいても不思議ではない。諜報員として、これ以上の存在はない」
透は自分の手を見た。
「私の祖母は」
「現役だった。最後まで」
弥山は静かに言った。
「お前の母親は、知らなかった。一代飛ばすことがある。時代によっては、知っていることが危険だから。だがお前の祖母は、お前を見て、確信したそうだ」
「何を」
「お前が最後のリンクだと」
エアと同じ言葉だった。
透は火を見た。
炎が、揺れていた。
「最後というのは」
「ネフィリムは逮捕された。だがシステムは動いている。脚本は進んでいる。リセットまでの時間が、あまりない」
「リセットとは」
「地球が、また一からやり直しになることだ。文明が消える。記憶が消える。何度も繰り返してきた。洪水もその一つだ」
透の中で、何かが固まっていった。
「止められるのですか」
「脚本に人類が気づけば、止まる。信じなければ、実現しない。エアがそう言っていた」
「どうやって気づかせる」
弥山は透を見た。
目が、火を反射して、オレンジに輝いていた。
「お前の血が知っている。明日から、思い出させる」
夜が深くなった。
虫が鳴き始めた。
山が、呼吸しているようだった。
透は寝袋に入りながら、空を見た。
満月だった。
その横で、一つの星が、やはり他より明るく輝いていた。
待っている。
声ではなかった。
ただそう、感じた。
透は目を閉じた。
その夜、夢は見なかった。
初めて、山を走る夢を見なかった。
もう、走る必要がなくなったからかもしれなかった。