東京。2024年。
山路透は、自分が何者かを知らなかった。
戸籍はある。住所もある。普通の会社員として、普通に生きていた。ただ一つを除いて。
夢を見る。
毎晩ではない。でも必ず満月の夜に来る。山の中を走る夢だ。地図など必要ない。獣道を、闇の中を、足が勝手に動く。どこへ向かっているのかわからないのに、迷わない。
目が覚めると、足の裏が土の感触を覚えている気がした。
祖母が死んだのは、透が三十二歳の春だった。
遺品の中に、古い木箱があった。
開けると、紙が一枚。
文字ではなかった。記号だ。螺旋と、星と、見たことのない文様が、緻密に描かれていた。そして中央に、日本語でたった一行。
「時が来たら、山へ行け」
透は笑おうとした。笑えなかった。
その夜、満月だった。
夢の中で、初めて声がした。
男の声だった。遠くて、でも耳の奥に直接響く。言語ではないのに、意味がわかった。
「透。お前が最後のリンクだ」
目が覚めた。午前三時。
スマートフォンに、知らない番号からメッセージが来ていた。
「木箱の紙を持って、奥多摩へ来い」
送信時刻は、透が夢を見ていた時間と、完全に一致していた。